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2024.06.17【追悼メッセージ3】赤松良子さん

2024年2月に亡くなられた会員の赤松良子さんへの会員から寄せられた追悼メッセージです

【小林照子】 美容研究家

お茶目な赤松良子さん
私どもの美容サロン『クリーム』にてある日全身マッサージを受けられた
赤松さんは施術直後からぐっすりと2時間熟睡されたご様子。
お帰りの際「何をされたのか全く覚えがないからお金は払えないわ!」と、
私にウインクをしながら担当セラピストをいじる!^o^
その後「あのサロンは私を眠らせるほど上手い!!」と吹聴して下さる
赤松さん。
あの日担当したセラピストはお陰様で大きく成長しています。m(_ _)m

【宮崎絢子】 ボイスコンサルタント&ボイストレーナー

初めて赤松さんにお会いしたのは1960年代の終わり頃、
当時民放の職場にあった女子若年定年制(フジテレビ25才、名古屋放送30才等)の撤廃を労働省に要請に行った時、
ちょっとこわもてのようでしたがとても熱心に話を聞いてくださいました。
その後均等法の国会審議も何度か傍聴しましたが、
赤松さんはいつも赤いチョッキを着て凛として答弁をされていました。
その後111でご一緒しましたが、赤松さんはとてもおしゃれで、粋に帽子をかぶり、
「おっ!」と片手を上げニコッと笑って挨拶されました。
その笑顔が何とも暖かく力強くて、嬉しくなりました。
もうあの笑顔に会えないと思うと本当に残念です!

【津田素子】 一般社団法人社会応援ネットワーク・理事(元資生堂)

赤松良子さんの存在を知ったのは1985年「男女雇用機会均等法」が成立した時でした。
当時私が勤務する会社は雇用・待遇面で男女差があり、そんな折に女性の地位向上の為に
精力的にずっーと行動されていた赤松さんのご活躍の経緯を知り勇気と希望を持つことが出来ました。
リーダーシップ111では赤松さんの魅力ある人間性に直接触れることが出来
ユーモアに富んだ闊達な話を聴くのが楽しみでした。
心から感謝申し上げます。ご冥福をお祈り申し上げます。

【中井惠美子】 中井生活研究所 所長

雨晴海岸で日本海の色に魅入られる赤松先生

私達夫婦で運営している富山県高岡市の古民家「民泊きょんさ」に赤松先生がきてくださいました。
雨晴海岸にご案内したとき、海をじっと長いこと見つめられて、
「日本海側の海の色をみたかった、太平洋側と全然ちがうんだよ」と説明してくださいました。
お父様が画家、お母様の頭の良さを受け継がれて、こうして今の先生があると感じました。
2023年10月、二泊三日のこの旅が先生の最後の旅行になってしまわれました。

【長井鞠子】 (株) サイマル・インターナショナル 顧問 会議通訳者

今でも先生からお誘いの電話がもうかかってくることはない、とは信じられず,寂しさが募ります。
初めて親しくお話ができたのはリーダーシップ111のアメリカ旅行だったと思います。
私はイベントがあれば同時/逐次通訳として走り回っていたのですが、
旅行中に「アンタの通訳は聞きやすく分かりやすくてよろしい」とコメントされ、
それからお互いにワインや日本酒が好きだと判明し「うわばみのマリー」なんて呼ばれたりしました。
思い出は何といってもいろいろな場面で美味しいものを食べ、飲み、お話ができたこと。
月に一回、先生が取り寄せておられたアメリカのサプリが余っているので私が半分引き取る事になり、
「例のブツを引き渡す」という物騒な名前のランチ会。穏やかなご子息を入れての会話も思い出深いものでした。
先生から頂きました数々の身に余るご厚情、感謝する言葉が見つかりません。心からご冥福をお祈りいたします。

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