リーダーシップ111(ワンワンワン)

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2008年11月5日、東京駅八重洲口側のグラントウキョウサウスタワー41Fにある、リクルートアカデミーホールにおいて、リーダーシップワンワンワンの公開シンポジウム「もっと素敵にできる 私たちの人生 7つのポイント」が行われた。会場は、幅広い世代の女性たちが集まり、一部男性の参加者も加わって、立見も出るほどの満席状態となり、熱気あふれる雰囲気の中でまず、司会者の宮崎洵子さんによって、リーダーシップワンワンワン代表幹事の山口積恵さんが紹介された。山口さんから今回のシンポジウム開催のあいさつが行われ、明るい雰囲気の中でパネルディスカッションが開始された。
今回のパネリストには、それぞれの個性を多角的に磨き、素敵なオリジナル人生を切り拓いてこられた尾原蓉子さん、幸田シャーミンさん、花井幸子さんの3人。コーディネーターは蟹瀬令子さんが担当。ディスカッションの最後は、蟹瀬さんによって、7つのポイントがまとめられた。

もっと素敵にできる私たちの人生 7つのポイント【取材レポート】

尾原蓉子さんの考える素敵な女性

尾原蓉子さんの学生時代のこと。当時彼女は、「女性も男性と同じように活躍できるのでは?」と思っていたという。
16才の時、交換留学でアメリカに渡った尾原さん。船に乗り込んで、甲板でテープを持って見送る人々と別れた後、点になって消失した日本列島を見た瞬間に、いよいよ始まる「自立」を感じ、足元からわいてくるエネルギーに鳥肌がたったという。
時は、1955年。彼女は、2つのことを強く記憶しているという。
ひとつは、「人と違うのはいいことだ!」ということ。留学先のアメリカで、毎日一生懸命に周囲の人と同じような格好をしようと、手持ちの服を苦心したという尾原さん。しかし、連日のように「That's so dfference !」といわれ続けたそうだ。とうとう着まわす服がなくなった時、尾原さんが、すごく悩んで落ち込んでいることに気づいた先生から「その言葉は褒め言葉よ!」と聞かされて驚いたそうだ。
もうひとつは、「女性がいきいきと活躍している」ということ。朝10時から夕方4時までしか開業していない医者を見た時に、若い頃医学を志していた尾原さんは、朝から晩まで人を助けるのが医者であるという意識を持っていたため、これは一体どういうことだろうかと不思議に思った。しばらくするとそのクリニックの医師は女医であることが判り、開業時間帯は、ベビーシッターの居る間だけであることが判った。街で働いているどの女性たちもみなニコニコしていて、自分の出来る範囲で仕事に取り組んでいたという。それぞれの女性が自分らしく、個性的に、世の中の役に立つことをしていた。尾原さんは、素敵な女性というのは、「自分の道をいきいきと生きている人のことなのだ」と、語った。

幸田シャーミンさんの目指す人生

幸田シャーミンさんは、父親がアメリカ人で、高校までインターナショナルスクールに通っていたという。家庭の中や近隣とのコミュニケーションは、日本語だった。
留学を念頭におき、「レジュメの足しになれば」という気持ちで、NHKを受けたことが、幸田さんの世に出るキッカケとなった。
その後「海外ウィークリー」のニュースキャスターとして大活躍。当時は、収録の度に、一週間首の痛みがとれない程の緊張だったとか。その後「FNNスーパータイム」に出演し、幸田さんの知名度は高まっていった。
私立大学連盟の依頼で、103歳の女性にインタビューした時のこと。一番楽しかった時はいつですか?という幸田さんの質問に「幼稚園の頃と、後は70過ぎてから私の人生は楽しくなりました」と彼女は答えたそうだ。その女性は70歳から英会話の先生を始めて、100歳まで続けた方だったという。幸田さんは、「70歳から楽しくなったと言えるような人生にしたい」と、笑いながら語った。

花井幸子さんのデザイナー以前

花井幸子さんは、故美空ひばりさんと同い年。彼女は美空ひばりさんの大ファンで、友人から借りたブロマイドを、一晩かけて模写したこともあったという。
5人の兄弟の長女として育ち、戦争を体験した花井さんは、空襲の時にサイレンが10回鳴ったことや、B29が空いっぱいに飛んでいた光景などが今も鮮明に、記憶に残っているという。
普通のサラリーマン家庭に育った彼女は、青梅市に疎開して少女時代を過ごし、その後、父親が銀行勤めであったこともあり、銀行へ就職した。そこは、毎日ソロバンでお金の計算をし、一円でも合わなければ、行員全員が帰れないというプレッシャーのある仕事環境だったとのこと。
そんな中、絵を描くこととおしゃれ大好き少女だった花井さんは、セツ・モードセミナーの故長沢節先生の絵に出会い、2年勤めた銀行を辞め、約2年間の勉強をした。それをキッカケに、花井さんはファッションデザイナーへの道を切り開いていった。

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幸田シャーミンさんのライフワーク

幸田さんが現在ライフワークとする環境問題と出会ったのは、約18年前。当時、何か一生パッションを持って取り組めるテーマ・ミッションを探していた彼女は、ひとつのニュースに関心を寄せた。それは「グローバル・ウォーミング」。地球温暖化に関する、科学者の会議が行われたというニュースで、映像もない短いものだった。
当時は、環境問題に注目する記者も少なく資料も殆どなかった。そこで幸田さんは環境に関する本を海外にいた友人に探してもらい手に入れると、読みふけった。そこには今まで見えなかった地球像があったという。環境問題は、30歳を過ぎた女性でも一から取り組んでいけるテーマかもしれない、自分のミッションかもしれない、と思ったそうだ。

そうして、留学。自然界や人間の未来を、よりよくしようと取り組む人々へのインタビューを行う中で、幸田さんの情熱は知識の吸収のみならず、世界へと広がっていった。そんな中で、国連の活動や役割に興味が深まっていったという。そこで地球環境問題に関する国連会議などの取材を重ねて国連や外務省などとの関わりを深くするうちに、彼女は2006年4月から2年と2ヶ月、国連広報センター(UNIC)所長に就任。この体験によって幸田さんは、国連の仕組みや活動、その抱える問題について考えを深めていった。
幸田さんは、情報公開法の整備など、国連にはまだまだ改革が必要だ、と語る。公金で成り立っている国連の、情報の透明性をいかに高めていくかが今後の課題と訴えた。
国連事務総長の潘基文(パン・ギムン)氏による「変化を拒む体質を変えていかなければならない」という国連内部でのコメントが、ロイターに報道されたそうだが、国連内部の改革がいかに必要かを示す言葉だという。

尾原蓉子さんの変革

「世の中を変える」ということについては、尾原さんにも強い思いがあるという。彼女は、社会人基礎力講座として、大学院レベルのビジネススクールを開講。「キャリアは自分で作るもの」と強調する。また、産業界の著名人が関わるボランティアで、公立中学の2年生を対象とした授業も担当し、積極的にライフプランやキャリアについて、将来のイメージがわくような内容を、具体的に話していると語る。

それにしても「変革を起こすのは大変だ」と語る尾原さんは、経験を振り返られた。旭化成勤務時代のことを振り返り、「女性はチャレンジが得意」なんですよ、何故なら「We are nothing to lose.」だからです、と語る。
尾原さんは「自分のためなら言いにくいことでも、その人たちのために、道を拓くためなら」と変革のために発言してきたのだと語る。そして「人生はマラソンです、女性は特に」と。仕事、家庭、家事、子育てと、沢山の選択肢を採ったり放したりしつつ、「楽しみながら人生を走り続けるのが女性」ということなのだ。

尾原蓉子さんの語るセルフ・エスティーム

尾原さんは、ハーバード大学ビジネススクールのAMP (上級マネジメントプログラム)に留学していた97年に、「21世紀は女性の時代だ」という言葉に出会った。同時期に、女性は生活の中で平行していろんなことをしたり、考えたり判断するのが得意で、1日に200の判断をしている、これは敵わないと語る人がいたという。ペンシルバニア大の偉い博士が、女性は男性とは違う脳を持っていると学説を語っているとも。彼女自身も「仕事と生活を同時平行させて一生働くつもり」と宣言して、尾原氏と結婚したとのこと。

「セルフ・エスティームが大事です」と彼女は続けた。それは、日本語にすると「自分を讃えてあげる」ということ。人とは違う自分の在り方を肯定すること。日本の女性たちは、自尊心を持って自分を大事にすることを、もっと大切にして欲しいというメッセージが送られた。

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花井幸子さんのノン・エイジ観

花井さんは、戦後開発の進む六本木で、日本舞踊を習う決意をしたのだそうだ。工事中の路上は、ほじくり返されていて、それを見た花井さんは「足をまず鍛えることだわ」と思ったとのこと。「人間寝たらおしまいですから、筋肉をつけないと」と。今でも筋肉トレーニングは、先生について毎週一回2時間をこなすというから驚かされる。日本舞踊は中腰で踊るので、相当の筋力が必要なのだとか。その甲斐あって、この日のハイヒールはヒールが12.5センチ。普段は13センチのヒールをはきこなすとのこと。姿勢の良さは、小さい頃に習ったバレエ仕込み。彼女は70歳が楽しいと語る。

花井さんのもうひとつの趣味は、茶道。若い頃は、「お茶なんて」と思っていたそうだが、とにかく茶に関わる美術が素晴らしく、日本オリジナルの世界は「見ているだけでも楽しい」と語る。「日本舞踊も茶道も日本の超オリジナルですからね」と。

また、「30歳以上の女性はノン・エイジだと思っているんですよ」と言う花井さん。綺麗にメイクをして、自らデザインした素敵なスーツを身にまとい、12.5センチのハイヒール。そうした、しゃんとした姿勢ときびきびした立ち振る舞いを目にすると、その言葉に誰しも納得することだろう。

幸田シャーミンさんの信念

幸田さんは、人生の半分を過ぎたと感じた頃、何が自分の人生にとって「素敵」なのだろうかと考えた。「最後に振り返ったときに、自分の信念に基づいて行動したと思えること」なのではないか、そうであって欲しい、と思ったそうだ。

スーパータイムに出演していたキャスター時代、子供の自殺が取りざたされた時期があった。連日の報道に、「報道が子供たちを自殺に駆り立てているのではないか」と不安に思い、心配になったという。当時はキャスターが独自の主張を込めた呼びかけをすることは殆どなかった時代であった。番組ディレクターを含めスタッフでミーティングを行い、コメントを任された。幸田さんは、番組中子供たちに、直接「命を絶ってはいけない」という呼びかけを行ったそうだ。番組終了後、大勢の青年や子供たちから電話や手紙が届いたという。その中には、幸田さんの呼びかけで自殺を思いとどまったという、2人の子供たちからの手紙もあった。

「自分の信念として、やらなきゃならないと思えることは、そうしょっちゅうあるものではない。その時に、『ベストを尽くせた』と思えるかどうかが大事です」と彼女。その思いが、幸田さんのエネルギーの源となっているのだそうだ。

尾原蓉子さんから、人生を素敵に生きるために…

尾原さんは、1997年、59歳の時に留学し、大学院で学んだ。女性の先生による、「リーダーシップについての授業」でのことだ。男性から攻撃的な反応を受けた時に、その先生は、がらっと雰囲気を変えて、実にソフトな対応をした。
「なぜそれができるのか」を訊ねたところ、「問題があったら、その問題をまず解決する。その問題に正面から取り組むことが大切」と彼女は語ったという。その言葉は以来、尾原さんの心のビタミンになっている。

人生を素敵に生きるためには、3つのことを大切にしたいと尾原さんは言う。
ひとつ目は、ポジティブシンキング。笑うと、いいDNAをONにできるそうだ。そのためにも、気分の切り替えを上手にすることを勧めた。自身を例に上げ、「夜悩むとくたびれているから悩んでいるのか本当に悩んでいるのか分からないので、その日はお酒でも飲んでぱっと寝てしまうのがいい」と語った。「明くる朝も悩んでいたらアクションを起こそう」というのが尾原流だ。
ふたつ目は、人生は自己実現であるということ。ジャック・ウェルチ氏の言葉を引用し、「『Control your destiny, or somebody else will.』自分の人生は、自分なりに使っていくことが大切だ」と。
3つ目は、人生は旅、ということ。ライフスタイルを提案する最先端のお店が掲げているスローガンを紹介。「お客様は自分の物語を書くライターだ。その方が人生をつくるのを手伝うのだ」と。「旅の行く先は自分で決められる」、ということだ。
尾原さんは来場者たちに「色んなことにチャレンジしてください」と、熱意をこめて締めくくった。

「もっと素敵になれる7つのポイント」

パネルディスカッションが終わりに近づくと、蟹瀬さんによって「もっと素敵になれる7つのポイント」が次のようにまとめられた。

◎ミッション
自分の人生において、ひとりひとりがミッション(使命)を持っていること。
◎アクション
何がやりたい、ほしい、と思ったら、躊躇せずすぐに行動におこすこと。そこから次のステップがうまれる。
◎パッション
「もういいや」とか、「この年だから」ではなく、何かの目標に向かって情熱をもちつづける。
人生の最後に、「これでよかった」と言えるように、現在も取り組めるテーマがあること。
◎ジョイ
自ら楽しみ、また楽しそうであること。互いに褒めあうことも薬になるということ。
◎セルフ・エスティーム
他人の評価で自分を評価するのではなく、自分以上、自分以下でもない、自分を認めて自身を持って行動すること。
◎ポジティブシンキング
たとえ失敗しても、どんなときも常に物事をプラスに受け止めるようにすること。
◎ドリーム
エネルギー源である夢をいくつになっても持ち続けること。

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 来場者からは、一人の人間・女性として必要なポイントがバランスよく7つにまとめられ、「今後の人生にチャレンジしていく上での多くのヒントが得られた」という声が聞かれた。
これらのポイントを身につけた尾原さん、幸田さん、花井さんのお話は、これからの人生を素敵にするエッセンスに溢れていた。参加者のたちはその姿を見て大いに勇気づけられ、心の中を明るくする沢山のギフトを贈られていたと思う。(レポート:三竹さやか)

終了後は、隣室のパーティールームで、交流会が行われた。
遠山副大臣の乾杯のあいさつに始まり、楽しくなごやかな来場者たちの会話がはずんだ。こうした人と人との交流によって、参加者ひとりひとりがさらに大きく勇気づけられ、人生をスケールアップしていく場となった。